日本の有名なお城、いくつ知っていますか?
「九州で有名なお城を知りたい」
「お城の歴史を知りたい」
「お城に関わった偉人が気になる」
本記事では、九州にある日本の有名な城とお城にまつわる歴史や偉人について詳しく紹介します。日本の歴史や文化に興味がある人は是非ご覧ください!
①熊本城

熊本城は九州でもトップクラスに知名度が高く、観光地としても大人気の城です。熊本を知る上で欠かせない400年以上の歴史があります。
熊本城の基本情報や歴史、関わりの深い偉人について紹介します。
熊本城の基本情報
熊本城の基本情報は以下のとおりです。
| 住所 | 〒860-0002熊本県熊本市中央区本丸1番1号 |
| アクセス | 植木ICから車で約40分 熊本ICから車で約30分 益城熊本空港ICから車で約30分 御船ICから車で約40分 阿蘇熊本空港から車で約45分 JR「熊本駅」から市電「熊本城・市役所前」から徒歩10分 JR「熊本駅」からバス「熊本桜町バスターミナル」から徒歩10分 熊本城周遊バス(しろめぐりん)「熊本城・二の丸駐車場」下車すぐ |
| 営業時間 | 9:00~17:00 |
| 入場料 | 小学生 300円 中学生 300円 高校生 800円 大人 800円 |
| 公式サイト | https://castle.kumamoto-guide.jp/ |
熊本城の歴史
熊本城は1607年に戦国武将であった加藤清正(かとうきよまさ)が当時の最先端の技術を駆使して作られたと言われています。
1632年になると熊本城を収めていた加藤氏に代わり、豊前小倉城の城主であった細川忠利(ほそかわただとし)が2代目熊本城城主となり、明治まで細川氏の居城となりました。
また、細川忠利は1640年に二刀流の剣術で名を馳せていた宮本武蔵(みやもとむさし)を招いたことでも有名です。
1877年には西郷隆盛が明治製具に対して発起した西南戦争において、政府軍が守りを固めていた熊本城に西郷軍が攻撃を仕掛けましたが、落城はおろか熊本城に近づくことのできないほど圧倒的な守備を見せ、ここでも加藤清正が建築した技術が再評価されたのです。
西南戦争では熊本城の天守閣や本丸御殿などは焼失してしまいましたが、1955年に国の特別史跡に認定され、2021年には熊本城天守閣の復旧が完了しています。
熊本城にまつわる偉人〜加藤清正〜

熊本城を語るのに欠かせない偉人は、やはり加藤清正です。
加藤清正は豊臣秀吉の家臣のひとりで、秀吉の指示のもと各地で行われた戦いに参戦すると、次々と武功を上げた武将です。
秀吉の死後は徳川家康に接近すると関ヶ原の戦いでは東軍として参加・活躍し、越後の有力大名として熊本藩主になりました。
また、日本屈指の築城の名手としても知られており、熊本城以外にも名護屋城や蔚山倭城、江戸城、名古屋城などさまざまな築城に携わり、領内の治水事業にも意欲的に取り組んだことでも知られています。
②島原城

島原城の基本情報や歴史、関わりの深い偉人について紹介します。
島原城の基本情報
島原城の基本情報は以下のとおりです。
| 住所 | 〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183−1 |
| アクセス | 愛野から雲仙グリーンロード経由で約34分 愛野から国道251号線経由で約38分 島原駅から徒歩で約11分 博多バスターミナルから高速バスで約3時間30分 フェリーで島原港到着後、島鉄バスで移動し大手バス停から徒歩約6分 |
| 営業時間 | 9:00 ~ 17:30 (入館は17:00まで) / 年中無休 |
| 入場料 | 大人700円 / 小・中・高校生350円 団体15名以上(大人560円、小・中・高校生280円) 障害者割引(大人560円、小・中・高校生280円) |
| 公式サイト | https://shimabarajou.com/ |
島原城の歴史
島原城は、1618年に松倉豊後守重政公が建築した、5層の天守と周囲の総長5,320kmという広大な土地を誇るお城です。
1637年の”島原・天草一揆”や1792年の”島原大変”などの歴史的大事変に関わるほか、島原藩の藩庁として250年間機能し続けるなど、島原城は政治・経済・文化のどの分野においても重要な役割を果たしてきました。
1873年には”存城廃城令”によって天守や櫓(やぐら)は買いたいとなってしまいましたが、1964年には天守閣が復元され、今に至ります。
島原城にまつわる偉人〜天草四郎〜

島原城にまつわる偉人としては、当時10代ながらカリスマ的人気で”島原・天草一揆の総大将として活躍した「天草四郎」です。
天草四郎はキリシタンから救世主として神格化されており、”島原・天草一揆”以降は”キリシタン禁制政策”が徹底されるなど、当時の日本において政治的に大きな影響を与えたこともあり、16歳という短命ではあったものの現代の日本でも偉人として名を残しています。
③唐津城

唐津城の基本情報や歴史、関わりの深い偉人について紹介します。
唐津城の基本情報
唐津城の基本情報は以下のとおりです
| 住所 | 〒847-0016佐賀県唐津市東城内8-1 |
| アクセス | 福岡から福岡都市高速利用で車で約20分 佐賀から厳木多久有料道路厳木バイパス利用で車で約40分 JR唐津駅からタクシーで約8分 バス停・唐津城入口から徒歩で約10分 |
| 営業時間 | 午前9時から午後5時まで(入館は午後4時40分まで) |
| 入場料 | 一般 500円 小・中学生 250円 未就学児無料 ※団体割引 20名様以上 2割引 |
| 公式サイト | https://karatsujo.com/ |
唐津城の歴史
唐津城は1602年に豊臣秀吉の家臣であった寺沢志摩守広高が建築したお城です。
唐津城は唐津湾に突き出た形で築城されたこともあり、名護屋城普請や朝鮮進攻では兵力輸送や食糧補給などの重要な役割を果たしました。
また、もともと唐津城に天守閣は存在しませんでしたが、1966年に模擬天守として新たに天守閣が建てられたことも特徴的です。
唐津城にまつわる偉人〜寺沢志摩守広高〜

唐津城の初代城主である寺沢志摩守広高は、豊臣秀吉や徳川家康などに仕えた戦国武将で肥前国唐津藩の初代藩主としても知られている人物です。
武将として関ヶ原の戦いで活躍が認められるほか、九州各地の大名の助けを得て柳川堀、佐賀堀、肥後堀、薩摩堀といった堀の建築にも助力しています。
④小倉城

小倉城の基本情報や歴史、関わりの深い偉人について紹介します。
小倉城の基本情報
小倉城の基本情報は以下のとおりです。
| 住所 | 〒803-0813福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
| アクセス | JR西小倉駅より徒歩約10分 JR小倉駅より徒歩約15分 都市高速大手町ランプより車で約5分 |
| 営業時間 | 11月〜3月:9:00〜19:00 4月〜10月:9:00〜20:00 |
| 入場料 | 無料(小倉城は大人350円、中高生200円、小学生100円) |
| 公式サイト | http://www.kokura-castle.jp/ |
小倉城の歴史
小倉城は、戦国末期である1569年に中国地方の戦国大名として知られていた毛利氏が建築した城です。
関ヶ原の戦いにて徳川家康に加勢して実績が認められた細川忠興(ただおき)によって、1602年から本格的に築城が始められました。
1837年に小倉城は城内から発生した火事により全焼してしまい、その2年後には天守閣以外は再建されるものの、長州藩との戦いの第一線となった1866年には混乱が発生して小倉藩自ら小倉城を焼き払うことで全焼しました。
太平洋戦争後の小倉城はアメリカに権利を取り上げられていましたが、1959年には小倉城の権利が再び日本のものとなり、市民の熱望によって天守閣が再建されたのです。
再建された天守閣は”唐造りの天守”と呼ばれており、四階と五階の間に屋根の庇(ひさし)がなく、建設当時は床面積が日本最大という特徴的な天守閣となっています。
小倉城にまつわる偉人〜細川忠興〜

小倉城にまつわる偉人は数多いですが、なかでも小倉城の本格的な築城に携わり、小倉初代藩主も勤めた武将・大名の細川忠興は欠かせません。
細川忠興は足利義昭や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、その時代の有力者に使え続けており、和歌や能楽、絵画にも通じた文化人であったことや、医学(漢方)に精通していたこと、”肥後拵”や”越中具足”などの武具の様式を確立させるなど、幅広い分野において豊富な知識があったことでも知られています。
⑤平戸城
平戸城の基本情報や歴史、関わりの深い偉人について紹介します。
平戸城の基本情報
平戸城の基本情報は以下のとおりです。
| 住所 | 〒859-5121長崎県平戸市岩の上町1458番地1 |
| アクセス | 博多方面から車の場合:松浦ICからアクセス 長崎・佐賀方面から車の場合:佐々ICからアクセス バスの場合:西肥バス「平戸市役所前バス停」から徒歩約10分 電車の場合:松浦鉄道「たびら平戸口駅」からタクシーで約10分 博多からさつき観光バスで約2時間30分(直通) |
| 営業時間 | 4月1日~9月30日:8:30~18:00 10月1日~3月31日:8:30~17:00 |
| 入場料 | 大人:520円 高校生 :310円 小・中学生:200円 |
| 公式サイト | https://hirado-castle.jp/ |
平戸城の歴史
平戸城(別名:亀岡城・亀甲城・日之嶽城)は、1599年から第29代天祥鎮信によって築城が開始されたものお火災によって焼失し、その後第29代天祥鎮信第4代肥前国平戸藩藩主である松浦重信(改名後:鎮信)によって1718年に再度築城されたお城です。
江戸時代中期に城の築城が許可されることは異例の出来事でしたが、平戸城は東シナ海の警備において重要な役割を果たすことが期待されたため再築城が許可されたと言われています。
1871年の廃藩置県にともない発令された「廃城令」によって平戸城も解体となりましたが、1962年に模擬天守やその他の部分が建てられ、2006年には「日本100名城」に認定されています。
平戸城にまつわる偉人〜松浦鎮信〜

松浦鎮信(まつらしげのぶ)は、平戸城の初代城主であり、肥前国平戸藩初代藩主としても活躍した大名・武将です。
対外貿易が幕府独占になるまでの期間、オランダ船やイギリス船を平戸港に招き、オランダ・イギリス商館を開設させるなどして、平戸貿易の再興を果たしました。
まとめ
本記事では、九州にある日本の有名な城とお城にまつわる歴史や偉人について詳しく紹介しました。
九州のお城は本土とは異なりキリシタンの影響や海外の影響を受けた大名・武将も多いことから、九州独特な歴史がお城にも反映されています。
九州のお城は桜が咲き誇っていたり、美しい見た目をしていますが、それだけではなく歴史的背景を知ることで、もっとお城を楽しく観光することができるでしょう。
ぜひ本記事を参考にして、九州のお城の歴史や偉人についてもチェックしてみてください。










